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第42回派遣報告
団長:         有松 俊明
団員: 歯科医師 原田 健一
飯田 哲也
歯科衛生士 長野 法子
有松 ひとみ
その他 宮崎 誠一
有松 寛
有松 遼
サポート 沖本 麻貴

 
活動年月日 2007年9月16日 2007年9月17日
活動場所(施設名等) Van nuguen Van nuguen
午前の部 午後の部 午前の部 午後の部
時刻 開始 8時30分 14時15分 8時30分
    終了 13時00分 16時00分 12時30分
派遣団員内訳
歯科医師 3人 3人 3人
歯科衛生士 2人 2人 2人
その他 3人 3人 3人
検診人数 50人 65人 97人
処置した人数 25人 30人 30人
処置内容
抜歯 18歯 7歯 13歯
充填   (グラスアイオイマー) 11歯 7歯 43歯
サホライド 2歯 27歯 40歯
ブラッシング指導 28人 45人 32人



感想文
 歯科医師 有松俊明
9月13日、今年の9月1日にオープンしたタンソンニャット空港に降り立って、歩く歩道にちょっとびっくりしたものの、相変わらずのスローな入国手続きにベトナムに着いた実感がわいた。

 そして外は相変わらずの喧騒。今回、別府組は総勢7名とにぎやかなパーティで、初参加者は5名、そのうち2名が我が家の大学生と中学生の息子。

 最初のうち、息子2人ともホーチミンのパワーに圧倒され、かなり怖気づいていた。せっかくだからとみんなで行った翌日のメコン川ツアーも彼らにとっては退屈だったようだ。

 元気が出てきたのはNgoc Suongでの海鮮料理。おいしいものを目の前にして育ち盛りの二人の食べっぷりはこちらが心配するほどで、特に長男はそれまでの意気消沈を一気に回復させるような猛烈な食べ方だった。翌日はベトナム初参加組4人でクチのトンネルツアーに参加。息子たちもベトナムに少しなれてきたようで、親の目の届かないところでのびのびできたようだ。私は家内と長野さんの買い物に付き合い、午後に新潟の原田先生とHASHOで合流した。夜はヤギ肉の焼肉屋で結団式をして、大いに盛り上がった。この日は中学生の息子の誕生日で、ホテルがバースデーケーキを用意してくれているとのことで、全員で息子の部屋でハッピーバースデーを歌って祝った。彼にとっては忘れられない日になったと思う。親ばかと思うけど、付き合ってくれたみんなに感謝。

 16日。いよいよ診療。ところが、調子にのった長男が体調をくずしてしまった。前夜は腹痛のため1時間おきにトイレにかけこみ、ほとんど寝ていないとのこと。弟も夜中中、兄のうなされているのが気になって、睡眠不足のようであった。長男が青い顔して今日は無理かもしれんと言うと、家内になにをしにここに来たのと一喝され、しぶしぶ行くことに。母は強しである。

今回訪れたのは8区にある小学校。川沿いのごちゃごちゃした町中にある小学校で、到着した時は 校庭に水が溜まって池のようになっていた。校門から校長室まで板を渡してもらい、器材を搬入した。重みで板がしなり、折れるのではないかと心配した。日曜日で学校が休みのため教室を診療室として使わせてもらった。かなり蒸し暑い。過去訪れた中で最高の暑さかもしれない。みんながてきぱきと準備する中、長男は腹を押さえて言葉も出ないよう。検診のカルテ記載を手伝わせることにして、とりあえず私の隣のいすに座らせておいた。弟は子どもの誘導係りに任命された。最初は照れくさそうにしていたが、元来小さい子が好きなので、生き生きして手伝ってくれた。家ではなかなか見られない顔つきをしていた。長男は青い顔をしながらも、やることはやろうと決めたようで、1日がんばってくれた。途中にやってきたスコールが心地よかった。校庭に溜まっていた水はいつの間にか完全に干上がっていた。

17日。前日と同じ小学校。月曜日で授業があったので、校長室を使わせてもらった。前日よりもかなり涼しく快適だった。毎回感心することだが、生徒たちがとてもおりこうなこと。中休みにわいわいと校庭で遊んでいた子が授業開始の太鼓がなると一目散に教室にもどり、真剣に先生の話に聞き入っている。

さて子どもたちの口の中は、相変わらず虫歯が多い。ただ以前のようにとにかく抜いて欲しいという親が減った。できれば詰めてほしいと希望する親が増えた。抜歯はいやなので詰めてほしいという子が多くなった。そろそろ治療方針の変換をすべき時期かもしれない。診療の終わった後、先生からカルテの説明を求められた。歯の萌出、虫歯の状態、治療方針などを説明したが、どこまで理解してもらえたかは定かでない。検診した生徒のカルテを全部コピーしていたので、口腔衛生の啓蒙に役立ててもらえることを期待する。
JAVDO活動報告
有松 ひとみ
4度目のベトナムは私に「謙虚」になることの大切さを教えてくれた。

「ここは駅?」と疑いたくなる旧式の国際空港は、最新式のメカニカルな建物に様変わりしていた。道路は相変わらずのバイクに埋もれてはいるものの、右車線と左車線の分離帯が置かれ以前よりも秩序が生まれているような気がし、一年ぶりのホーチミンに懐かしさが込み上げると共に、急速に発展し続ける人々の息吹を感じた。今回の活動拠点はホーチミン市内8区で、雨季になると河や下水道が増水し建物に流れ込み、衛生環境は劣悪になる地域だとHASHOのチャウさんから説明を受ける。事実、訪問先の学校は水で溢れ、池のようになっている中庭に板を渡し校舎へと向かった。一日目は日曜日でアトランダムにやってくる2歳から15歳の子供たちを、個人もしくは3人〜10人のグループに分けブラッシング指導を行った。拙いベトナム語で必死に語りかけると何とか伝わるみたいで(そう思っているのは自分だけかも?)子どもたちは歯ブラシを一生懸命動かしてくれる。「一箇所を10数えるまで磨いてね。まず、右下の奥歯・・・左下・・・左上・・・右上・・・」そう言いながら、『この歯ブラシを何ヶ月使うのだろう』とふと思い、本当の意味で個々の生活環境が分からないままの指導に心が痛む。いや、何か掴んでくれる!きっとそうだ!きっかけでもいい!と自分に言い聞かせながら続けた。二日目は登校日。同じ年齢層の子ども達が行儀良く並び、検診を受け処置を受けていく中、私は授業の時間を少し頂き、1クラス集団指導を行った。準備した教材を使い、生徒たちの反応をみながら〈日本の事〉〈歯の役割〉〈歯磨きの必要性〉〈食生活とおやつ〉といった保健指導内容を10分程度行った。真剣な眼差しで聞き入る子ども達に私が感動し、胸が一杯になる。『貴方達が聞きたいことは何?』またも、ベトナム人の実生活を知らないままの一方通行の言葉なのではと自問自答する。午前の授業が終わり、昼食をとりに帰宅する子どもたちは満面の笑みで手を振り、お辞儀をし、手と手を合わせ感謝の所作を示しながら私たちの前と通り過ぎていく。爽やかで清々しい風のようだった。

ありがとう、ベトナム!今、また前に進もうとする私がいます。自分が出来ることを見つけに毎年この国を訪れますが、たくさんの心を貰っていたのは私の方だったのですね。ホーチミン市内で買った育児書と粉ミルクの成分をこつこつと翻訳して来年に備えます。少しずつお返しが出来るように・・・。

=後記=

今回同行した長男が帰国後、『迷惑かけました。自分についてもう一度考えて見ます。』とメールしてきました。ベトナムで14歳の誕生日を迎えた三男は、「また、行ってみようかな〜」と一言。親ばかですが、何かを感じてくれたのかとちょっと嬉しかったです。

同行して支えてくださった皆さん、現地でお会いした皆さん、ありがとうございました。*感謝*
友岡歯科医院 長野法子
空から見るとベトナムは赤茶色。

日々の忙しさにかまけて、何の下調べもせず、誘われるままにベトナムに行った。

空港の外は人、人、人。なんでこんなに人がいるの。

車に乗って行くと、バイク、バイク、バイク。

クラクションを鳴らしながら、道いっぱいバイクが走っている。その間を、車もクラクションを鳴らしながら走る。なんともすさまじい光景にびっくり。


ムッとする暑さの中で見た子供達の口の中は、お世辞にも、状態が良いとは言えない。歯冠部が崩壊している。ふと、今まで、何回痛かったんだろうと思う。

抜歯・セメント充填・サホライド塗布・放置。選択肢は4つ。

ある程度の水準の治療が受けられる日本の子供達とは、かけ離れている。

だからこそ、予防しないと・・、歯ブラシしないと・・と思う。

自分に、何が出来るかわからないけれど、体力と気力があるうちに、何かまだまだしたい・・と思いつつ、仕事に戻った。
ベトナムホーチミン紀行記
宮崎 誠一
ベトナムといえば、我々世代(1951生)がまず頭に浮かぶのはなんといってもやはり「ベトナム戦争」であろう。
第2次世界大戦時の日本軍の仏印進駐に関しては、ベトナムの方々は記憶に鮮明であるが、現代の日本人にとっては、遠い過去のことである。後に会った現地の通訳の青年はそのことに触れていた。少しは反省しなくてはいけない。

さて、「ベトナム戦争」であるが、本来的には北ベトナムと南ベトナムとの間の内戦であったはずであるが、背後にはソ連、中共、米国の存在があり実質的には共産主義と資本主義の戦争であったのであろう。当時の日本においても反戦・反米で学生運動も盛り上がりを見せていた。小生はこれらの運動とは少々距離を置いていたし、ベトナムは遠い所の話という感じもあった。いわゆるノンポリであった。

ここで改めて考えてみると、かつて日本も米国と戦争をしたが、敢え無く敗れ去ってしまった。がしかし当時の国際情勢や地政学的な諸条件はあったのであろうが、ベトナムはどうであろうか、米国を撃退したと言えるのではないか。何とも偉大な国家、国民である。無論米国は決して認めないであろうが。

そんなことをぼんやりと少し二日酔いの頭で考えていたら、9月13日の14時ごろ我々が乗ったベトナムALは、完成したばかりの真新しいタンソニェット空港に静かに滑り込んだ。いわゆるソフトランディング、やっぱりベトナムALのパイロットの技量は超一流である。

ベトナム、ホーチミンは想像以上に混沌とし、市場の喧騒・客引き、バイクの洪水、クラクションの音、スリル満点な道路の命懸けの横断等々驚くことばかりであったが、人々のバイタリティや目の輝きには、われわれが忘れ去ってしまった何かがあるように思えた。但し、件の驚きの数々は不思議にも二日目くらいにはすっかり慣れ親しんでしまった。

また、食事に関しては、あまり味覚に敏感とはいえず、鯨飲馬食の小生にとっても、美味しく量もたっぷりであった。そして香草をたっぷり使った料理はきっと健康にも良いのであろうことは想像がつく。翌朝それは確かに証明された。更に特筆すべきはビールの美味いことである。お奨めは“333”。よく冷えていれば缶のまま若しくはビンのままでいいのであるが、冷えていなければジョッキに氷を入れて呑めば又更に美味しいことを保証する。ベトナムの米焼酎もすこぶる美味いことを忘れずに付け加えておく。きっと、すべてが我々日本人にぴったりと合うのである。

小生は傍観の立場であるが、先生方は子供たちの歯科診療に精進されている。大勢のボランティアの方々も参加している。本当に頭の下がる思いがした。何かお手伝いと気はあせるが何せ徒手空拳の身、傍らで先生方の活躍を見るしかない。又の機会を頂ければ何かお役に立てることを準備しなければいけないと痛感する。

そうこうしている内に、5日間が夢のように過ぎ去ってしまった。

このような機会を与えて下さった、団長の有松先生には心より深謝申し上げる。そして、同行の他の先生方、スタッフの皆様方にもお礼を申し上げる。

最後にこの一言を添える。   「ベトナムの子供たちの笑顔は素晴らしい。」
ベトナム活動の感想
別府北部中学校2年生 有松遼
僕がベトナムに行った最初の2日間は、道路が汚くバイクばかりのこの国が嫌いで、早く帰りたい気持ちだけでした。でも、日がたってベトナムの人達と接していく中で、親しみやすくいい国だなと思い始めました。

僕が一番感動したものは食べ物のです。量は結構あるのに安くて、何よりフォーやベトナム風お好み焼きのバインセオが美味しく僕は大好きになりました。

そして、一番の貴重な体験である二日間のボランティア活動では、おとなしくて純粋で笑顔が素敵なベトナムの子ども達と日本の子ども達の違いが分かり、とてもいい勉強になりました。僕は子ども達の誘導係でしたが、本当にみんな素直でいい子ばかりでした。

ベトナムは人々が一生懸命生きている印象で今の日本と違う所がたくさんありました。戦争記念館やクチトンネルでは戦争の悲惨さも知ることが出来、改めて戦争は絶対してはいけないのだと感じました。またいつか時間があれば行ってみたいと思います。


特定非営利活動法人 日本歯科ボランティア機構