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第17回派遣報告

 
活動年月日 2004年7月17日 2004年7月18日
活動場所(施設名等) Can Gio
午前の部 午後の部 午前の部 午後の部
時刻 開始 8時00分 13時30分 9時00分
    終了 12時00分 16時00分 13時0分
派遣団員内訳
歯科医師 5人 5人 5人
歯科衛生士 2人 2人 2人
その他 10人 10人 10人
子供達との交流
検診人数 142人 64人
処置した人数 121人 48人
処置内容
抜歯 83歯 43歯
充填 (グラスアイオノマー) 44歯 14歯
サホライド 128歯 9歯



訪問記
歯科医師 小口順正
今回で三度目の訪問だったが、肉体的な疲労とは逆に今回も気持ちがリフレッシュされ楽しい日々であった。
苦楽を共にした団員の皆様方とお世話になった日越関係各位に感謝しております。
予定では初日が150名の受診、二日目が午前中で100名と聞き、あっけにとられた。
さらに、出発直前に初日の受診者が350名に変更と連絡があり、あわてて団員諸氏諸嬢に局麻剤カートリッジ、注射針、ありったけ持参されたしと緊急要請。千手観音にでも変身せぬことには対応不可と覚悟の出発だった。
いかに精鋭(ただし団長以外)の5名の歯科医師と2名の歯科衛生士をもってしても、できる仕事には限りがあると、コーディネート役のChauさんとかにはまず文句の一つや二つ言わねば気が済まんと熱い気持ちで、暑いタンソニャット空港に降り立った。
磯村先生と空港からタクシーでHASHO(ホーチミン障害孤児支援協会)へ向かった。車中、思いのほかドライバーにベトナム語が通じ、顔面のこわばりも少々ほぐれを自覚。
HASHOでMs.Chauにお会いし、チャーミングなスマイルで「ベトナムの皆は、あなた方の行動をとても感謝しており、今回も是非よろしくお願いしたい」との言葉に「力の限り全力で頑張りたい」と、用意していた文句などすっかり忘れた。受付には美人を置いとくのがいいとの教訓を得、早速JAVDOの診療室に案内していただく。政府の認可待ちで診療はまだ行われていなかった。大雨の為、冠水したとのことで裏では補修工事がされていた。物品庫で明日からの診療の機器、材料のチエックをするが、湿気が多く、大汗。
CanGioはホーチミンの南55キロ、マングローブ茂るデルタ地帯。昨年のCuChi同様、朝6時ホテル出発の為、朝食の弁当をホテルに頼み、車中で通訳の学生と分け食べた。サイゴン川をフェリーで渡り、赤い土の道を走り小さな集落に到着。歓迎JAVDOの赤い横断幕の向こうに質素な建物が二棟あった。薄暗い室内にはござ敷きのベッドと簡単な医療機器。覚悟はしていたが次から次へと訪れる人々への対応に追われた。検診だけではニーズに応えることにはならない、少なくとも結果として応えたい、との団長の無謀な意気込みに団員は大汗で対応してくれた。午後、急に空が暗くなり、風が吹き、近くを流れるサイゴン川支流の水面が波立ち、スコールの襲来を思わせると住民は来なくなった。エビの養殖の盛んな所で、昼食も贅沢エビ尽くしを近くの行政施設の庭でおいしくいただいた
二日目はホーチミン市北部の地域医療センターを訪問。各科の診療室、簡単な入院施設、そして水洗便所まである!きれいな施設だった。前日とは異なり、受診者の口腔内には充填処置が施されている者も散見された。
前日通訳として手伝ってくれた学生が「天職です。この日も手伝いたい」と申し出てくれ、一台のワゴン車に19名も乗っての移動、これがベトナム式、袖振り合うも他生の縁とはいえ暑いな。
帰路に道端でドリアン、ライチなどの果物を購入し食べ較べと賑やかな道中だった。

 

2004年7月の派遣を終えて
阿部 貴之
私の最初の派遣は去年9月。今回の派遣までの間に大きな事件がありました。「日本人イラク人質事件」です。日本社会は何かに目覚めたかのように、今まで口にしたことのないような「自己責任論」を展開しました。多くのマスメディアは、ボランティア活動家の高遠菜穂子さんら3人には批判的でした。この一連の「戦争と人道支援」という本筋からまったく逸れた、いわば御門違いの「ボランティア論争」は意義あるものではなくどちらかというと、単なる「ボランティア叩き」をしていたように思えます。おそらくそれは、このところNPOに絡んだ事件が多く、あまりいいイメージがなかったのも原因でしょうし、オープンにボランティア活動をプロパガンダすることは日本人にはなかなか理解できないようです。また、偏った報道も大きな要因でしょう。例えばマスメディアは生まれたばかりのNPOの一部失態をこぞって批判しますが、100年の歴史を持つ「公益法人」は今までどれだけお金を使い、いったいどれくらいの社会貢献をしたというのでしょうか?残念ながらこういった事実に触れるマスメディアは大変少ないのです。そんな流れの中で本来の「ボランティアイズム」が否定されてしまうのは大変悲しいことです。
しかしながら、ボランティアに参加する側も十分認識しておかなければならないことがあると思います。特に海外で活動する場合、文化の違いからちょっとした言動や行動で勘違いされるかもしれないという心配はいつも持っていたほうが良いと思います。実際、現地の方々はよく私達の事を見ているし、私達は大変期待されていると感じました。
ところで、私は飛行機の中でずっと本を読んでいました。前国連難民高等弁務官の緒方貞子さんの活動を綴った本です。本の中で緒方さんは「日本が平和であり、また平和でありつづけているのは世界に依存しているからである。だから、日本人は島国根性や外国人に対する偏見や差別を打ち捨て、外の世界の問題を自分達の問題としてとらえる必要性があります。」と話しています。
私は国際貢献には、2つの「質」があると思っています。ひとつは政治のレベル、もうひとつは民間のレベルです。民間のレベルでの活動はいわば「芽」だと思うのです。つまり、花を咲かせるための「芽」。花を咲かせることが最終目的だとしても、「芽」を出させなければ花は咲かない。だからその「芽」を摘むことのないように辛抱強くやるしかないと思っています。この本の冒頭で緒方さんは「自分の行動力の源は怒りである」と言っています。「うまくいかないとがっかりするより怒りが出る」そしてそれが、原動力となっているのだと。確かに、現地ではうまくいかないことは多々あります。特に今回は2時間以上かけ現地までたどり着き、午前中だけで120人を診療するという、大変忙しい、考えている暇のない状態でした。後になって、あの時ああすればよかったなどと思うのです。
今回日本に帰ってきてから、私の周辺でちょっとした先の「ボランティア論争」の話に似たことを体験しました。おそらくは、ボランティア活動をしている限りこういったことには今後も遭遇するでしょう。私は、「緒方さん」流にこの何処にもぶつけることのできない怒りを今後の原動力にしていきたいと思います。
 
JAVDOに参加して
丹後ふるさと病院 小西 勝
 まず私がこのボランティアに参加しようと思ったきっかけは、現在勤務している病院に転勤してきて半年ぐらい経ったときのことでした。
 私は広島大学の出身であり、学生の時(確か5年生の時)、予防歯科の講義中に講師の森下先生からボランティアの歯科治療をベトナムで開始したという話を聞いたのが始まりでした。その時からおぼろげながらに興味は抱いていました。そして、卒業して広島を離れ、京都で働くようになり、最初は京都市内で勤務していたのですが、1年後に京都府内ではありますが、丹後半島の病院へ転勤になりました。京都市内からも特急で3時間ぐらいかかるほど交通の便の悪いところで陸の孤島のようなところでした。患者は大勢来ますが、そのほとんどは60歳以上です。そうした状況の中で医療について考えるようになりました。そして、特に強く疑問に感じたのは、地域によって医療レベルに格差があることでした。田舎だからとかいろいろと全身疾患を抱えている高齢者だからこのぐらいでいいか。京都市内や大・阪、東京などで受ける治療より田舎だからレベルの低い治療でもしょうがないか。医療は教育などと同じくどこであろうとどのような生活レベルの人であろうと、常に平等に受ける機会を与えられるべきものであるとあらためて実感させられました。そう考えている時にふと学生時代に聞いた話を思い出し、ぜひ参加したいという気持ちになりました。
 そのような意気込みでベトナムに行く前は期待に胸を膨らませていましたが、ベトナムに到着するやいなや、ベトナムの活気のある雰囲気に少し腰が引けてくるような感じがしました。最初のうちはそのような状況に圧倒されていましたが、他のメンバーたちやベトナムのボランティアの学生たちの助けのおかげで雰囲気にも慣れてきて、何とか2日間の診療を無事に終えることができました。
 今、終わってから振り返ってみると、その時は精一杯やっていたつもりではあったが、消化不良の様なことが多々思い出されます。その原因は、おそらく普段の仕事を、忙しさを理由に流していたことだろうと思います。理想と現実とのギャップを埋めることがいかに難しいことかをあらためて痛感させられました。これを良いきっかけとして、普段の仕事ひとつひとつ真剣に取り組み、是非またベトナムに行きたいと思っています。
 
ベトナムボランティア活動報告
つがやす歯科医院  槙 理重子
 6時間近く飛行機に乗りかなり疲れがたまって、ベトナムへ行くことを少々後悔しながら私のボランティアが始まりました。
 北海道ではありえないような蒸し著さ、バイクでごったがえすホーチミンの街、こんな中で私はボランティアできるのだろうか?とますます不安がつのる一方でした。 実際のところボランティアは暑さと忙しさで大変でしたが、歯医者に行き治療を受ける事の出来ない子供たちがこんなにもたくさんいるのかと思うと一人でも多くの子供たちを診てあげたいと必死で頑張りました。
今回は衛生士の人数が私を含め2人でスケーリングやTBIが全く出来なかったのがとても残念でした。ボランティアの時間は検診の筆記、器材が不足しているのに抜歯が多く消毒におわれ、あっという間に終ってしまったという感じです。
最初は不安だらけのボランティアでしたが、とても貴重な経験が出来たことに感謝したいです。
ボランティア活動に参加して
歯科衛生士 遠田裕美
 私は、今回初めてのベトナムへのボランティア活動となりました。行く前は,治安 が悪いとか、お腹をこわすという話しを聞いて無事に活動して来られるだろうかと不 安でいっぱいでしたが、今,思い返してみると治安はあまり良いとは言えないかもしれませんが、ボランティアのベトナムの学生が付き添ってくれますし、お腹もこわさず元気いっぱいに帰って来ることができました。
ベトナムへ行ってみて感じた事は、 街は想像以上に都会で村はそれ以上に発展していなく、その差に驚きました。ボラン ティアで訪れた村は、とってものんびりしていて時間がゆっくりと過ぎている感じが して日本とは全くの別世界な、空気が流れていました。子供たちは、みんなとてもかわいらしい子ばかりで、貧しくてもそこでの生活は幸せそうでした。歯の治療が怖い のはベトナムの子も日本の子も同じなんだなと思いました。そして、お手伝いしていただいたベトナムの学生さん達は勉強熱心でなによりもとても素直で教えられたこと が沢山ありました。一緒にボランティアへ行った小口先生、阿部先生、小西先生、つがやす歯科のメンバーとは、最初のうちは少しぎこちない雰囲気でしたが段々慣れて良いチームワークで活動できてとても楽しかったです。また、機会があれば一緒に仕事できたらいいなと思います。本当にありがとうございました。ベトナムへのボラン ティア活動、自分にとって良い経験、勉強となりました。




特定非営利活動法人 日本歯科ボランティア機構